〝型にはめられるのはイヤだ、自由にやりたい〟 と、10代の頃にはずっと思っていた。当時は、 〝型にはめられて大切な個性を勝手に初期化されてはたまらない〟 という心境だった。
ところが、そのうちに、型が存在しないと自由も何もままならない、ということに気付かされた。
友人に誘われて習い始めた華道の教室では、最初に基本の花型法を学ぶ。その場で皆と一緒に活けているのに、同じ花型、同じ花材にもかかわらず、出来上がった作品は、決して同じ『生け花』にはならない。活けた人それぞれの個性が不思議とにじみ出ている 。
逆に、「自由に活けてみて」と言われた日は、さぞ強烈に個性が押し出された芸術作品になるだろうとの期待に反し、花を相手に悪戦苦闘。自らのスキル不足もあいまって、自由とは案外不自由なものだ、と観念する。
まずいながらもやっと完成させた作品は、何ていうことはない、以前どこかで見たような花型によく収まっている。型がないと、せっかく の個性も形無しである。
普段何げなく個性だと思い込んでいたものは、ただの差異でしかない。より良いものを目指すには基本を踏まえ、その先にこそ、型にはまらない自由な表現ができるに違いない。本当の個性が輝くのはその時かもしれない。
その先の自由
ペンネーム : 鉢かづき