「あのぉ、サインを決めたいんですけど」「ええっ?」
妻の唐突な話には、訳があった。私は難聴で補聴器を付けている。妻とは一緒に働いているので、密接な打ち合わせは欠かせない。しかし、
——何か話がある時に普通の声で言っても聞こえないので、少し大きな声で私を呼ばないといけない。するとつい『まあ、そこまでして言わなくても……』となってしまって、だんだんと言いたいことが溜まってしまう——
という悩みが、妻にはあった。人に相談してみると、「話がある時のサインを決めてみたら」とアドバイスされた。一瞬『そんなことを』と思ったけれど『いや、素直にやってみよう』と思い直して、私に話を持ちかけてきたという次第。
しかし、言われた私は、野球などの監督からのサインのように、合図されるのはおもしろくない気がして、「サインよりもそばまで来て手を握ってくれた方がいいなぁ」と言ってみた。またまた妻は『そんなことを』と思ったらしいけれど、『いや待て待て』と今度も思い直し、やってみようと腹を決めてくれた。
すると不思議。『あ、これを伝えておかなきゃ』と思いついた時に、ちょうど私がそばを通りかかるようになり、コミュニケーションがスムーズに取れるようになった。(私は結局、妻に手を握ってもらい損ねた)
妻の腹の決め方はなかなかのもので、結婚の時も「一生、この人の耳になろう」と思ってくれたとのこと。人より苦労をかけていることを思い、努力してくれていることに改めて感謝した。