入園式の朝、妻が困った顔でやってきた。「どうしてもユウくんが制服を着ようとしないんです…」「ええっ!?」。それは、夢にも思わなかったトラブル。戸惑いながらも「とにかく行ってみたら。幼稚園で皆が着ているのを見たら自分も着るんじゃない?」と妻と子を送り出したが、それは甘い考え。入園記念の写真撮影もウルトラマンのTシャツ姿。これが一か月以上も続く戦いの始まりだった。
「制服、着ようか」「やだ」「かわいいよ」「やだ」「う~ん……。世の中には決まりというものがあって、制服を着るというのも決まりの一つなんだよ。だから着ようね」「やだ」。毎朝毎朝、思いつく限りの言葉を掛けて促しても、全く効果がない。マンモス幼稚園だったこともあり、最初のうちは「まあ、名前を早く覚えてもらえていいかも」などと言っていたが、だんだん深刻になってきた。特にこれは〈父親自身が幼少の頃にしていたことの鏡〉だと諭され、責任を感じた。
一人っ子だった自分の、幼い頃のわがままを想像して反省してはみるものの、事態は変わらなかった。途方に暮れていた時に、尊敬していた先生にお会いする機会があって相談した。すると「親の幼少時の鏡というのは、あいまいなものではない。何年何月何日にこういうことをした、というのがハッキリあるんです」と心に響くひと言を頂いた。勢い込んで母に尋ねてみたが……「もう分らへんわぁ。あんたはええ子やったよ」という調子。思わず妻に愚痴ったところ「そう言えばあなたが幼稚園の行き始めの一週間くらい、制服を着ないで困ったことがあったと、お母さんが言っておられたよ」とひと言。何と親に聞いてもだめだったものが、妻に聞いて出てくるとは、実に不思議だった。
「昭和○○年の4月初めの一週間、幼稚園の制服を着ようとせずに親を困らせた」という内容の反省は、漠然と「わがまま言って親を困らせた(と思います)」という反省よりも強烈に心に染み入った。
翌朝いつものように膝に息子を座らせ、たんすの引き出しを開けた。真ん中にはお気に入りのウルトラマンのTシャツ。しかし息子は引き出しの右端に手を伸ばし、幼稚園のスモックを手に取った。「これ、着るの?」「うん」半信半疑のまま袖を通させボタンを留め終えたら、思わずため息が出た。本当に自分のせいだったのだと、深く思い知った瞬間だった。
その日を最後に息子が制服を嫌がることは二度となかった。私に心から反省をするということを、息子は教えてくれた。おかげで親として少しはましになれたのではないかと思う。