息子のけいれん事件
ペンネーム : スイートピー
息子が1歳になったばかりのある朝、熱っぽくてぐずるので、抱いたりあやしたりして一日を過ごし、夜を迎えた。主人は勤めから帰ってきて、いつもどおりに食事や風呂を済ませると、高いびきで寝てしまった。息子の熱は下がらず、だんだんぐずつきがひどくなっていた。息子を抱いたまま、私は布団の上で悲しい気持ちでいっぱいになっていた。
明け方近くになっていたと思う。具合が悪く泣き止まない息子を抱く私の隣で、いびきをかいて気持ち良さそうに寝ている夫にだんだん腹が立ってきた。「何で私一人が辛い思いをしなくちゃならないのか」と、夫をにらみつけるように見た瞬間だった。息子が白眼をむいて、けいれんを起こした。初めてのことだったので、私は思わず、「わーっ、Kちゃんが死んじゃう」と叫んだ。その声に驚いて、夫が飛び起きた。けいれんする息子と切羽詰って悲壮な顔の私を見た夫は、「病院だ、病院に行くぞ」と怒鳴った。病院で、息子は小さな手の甲に点滴を打ってもらい、入院することになった。一週間ほどで良くなり、事なきを得た。
夫婦でこれほど慌てたのは、結婚して初めてのことだった。二、三日後、敬愛する先輩に私の思いを聞いてもらった。先輩は「母親の方が実際には育児に当たるとしても、夫の気持ちや思いを聞き、自分の思いも伝えて子供に対すると、それが一番いいことになるのよ」と教えてくれた。息子が熱を出してぐずる時、一人で抱え込まずに夫に自分の気持ちをちゃんと伝えお互いが気持ちを理解し合って協力できていたら、と心から反省した。
夫婦で心を通わせながら育児をすれば、子供は元気に育っていく。私の気持ちを聞いてもらったり、夫の気持ちを聞かせてもらう努力をし続けていると、夫婦の会話が自然に穏やかになる。そして、夫の高いびきを聞きながらも、いつの間にか、すーっと寝入ってしまう私になっていた・・・。
反省は具体的に
ペンネーム : モモ
入園式の朝、妻が困った顔でやってきた。「どうしてもユウくんが制服を着ようとしないんです…」「ええっ!?」。それは、夢にも思わなかったトラブル。戸惑いながらも「とにかく行ってみたら。幼稚園で皆が着ているのを見たら自分も着るんじゃない?」と妻と子を送り出したが、それは甘い考え。入園記念の写真撮影もウルトラマンのTシャツ姿。これが一か月以上も続く戦いの始まりだった。
「制服、着ようか」「やだ」「かわいいよ」「やだ」「う~ん……。世の中には決まりというものがあって、制服を着るというのも決まりの一つなんだよ。だから着ようね」「やだ」。毎朝毎朝、思いつく限りの言葉を掛けて促しても、全く効果がない。マンモス幼稚園だったこともあり、最初のうちは「まあ、名前を早く覚えてもらえていいかも」などと言っていたが、だんだん深刻になってきた。特にこれは〈父親自身が幼少の頃にしていたことの鏡〉だと諭され、責任を感じた。
一人っ子だった自分の、幼い頃のわがままを想像して反省してはみるものの、事態は変わらなかった。途方に暮れていた時に、尊敬していた先生にお会いする機会があって相談した。すると「親の幼少時の鏡というのは、あいまいなものではない。何年何月何日にこういうことをした、というのがハッキリあるんです」と心に響くひと言を頂いた。勢い込んで母に尋ねてみたが……「もう分らへんわぁ。あんたはええ子やったよ」という調子。思わず妻に愚痴ったところ「そう言えばあなたが幼稚園の行き始めの一週間くらい、制服を着ないで困ったことがあったと、お母さんが言っておられたよ」とひと言。何と親に聞いてもだめだったものが、妻に聞いて出てくるとは、実に不思議だった。
「昭和○○年の4月初めの一週間、幼稚園の制服を着ようとせずに親を困らせた」という内容の反省は、漠然と「わがまま言って親を困らせた(と思います)」という反省よりも強烈に心に染み入った。
翌朝いつものように膝に息子を座らせ、たんすの引き出しを開けた。真ん中にはお気に入りのウルトラマンのTシャツ。しかし息子は引き出しの右端に手を伸ばし、幼稚園のスモックを手に取った。「これ、着るの?」「うん」半信半疑のまま袖を通させボタンを留め終えたら、思わずため息が出た。本当に自分のせいだったのだと、深く思い知った瞬間だった。
その日を最後に息子が制服を嫌がることは二度となかった。私に心から反省をするということを、息子は教えてくれた。おかげで親として少しはましになれたのではないかと思う。
いいな大阪?
ペンネーム : くじら
テレビを見ていた3歳になる息子が突然「イイナーオオサカー!」と叫びました。そして、私の所へ来て「いいな大阪だ、いいな大阪だ」とテレビの前に連れていきます。しかし「いいな大阪」なるものは既に映っていないのです。さて何だったんだろうと、家内にも聞くのですが、家内もテレビを見ていないから分かりません。さてさて、息子は何を見て「いいな大阪」と言ったのでしょう?しばらくわが家の謎になっていました。
以前にこんなことがありました。「これはナシ?」と聞いてきた息子に、私は物をよく見ないまま「そう、ナシだよ」と答えてしまいました。しかし息子は、実はリンゴを持っていたのです。「しまった」と思いましたが後の祭り。その後はしばらくの間、リンゴをナシと言っていました。これはいけないと息子にお詫びして、祈るような気持ちで「間違いを教えてごめんなさい。これはリンゴで、これがナシだよ」と言ったら、やっと正しく理解してくれました。一度間違って覚えてしまったら、やっかいなことになるのです。いい加減なことを言わないでしっかり子供に向かって、正しく教えなければなりません。
すぐそばで「いいな大阪だ」との声…。急いで行ってみると、そこには「イイナーオオサカー」ならぬ「リニアモーターカー」が映っていたのでした。
『それぞれの大切なもの』
ペンネーム : ストロベリー
家の片付けをしていると、箱の中から子供たちの作品や小さいころに遊んでいたおもちゃなどが出てきた。今まで大事にしまっておいたが、もう要らないだろうと、思い切って捨ててしまった。
数日後、「明日ね、授業で思い出のものを発表するんだ。だから、しまっているおもちゃ箱出して!」と子供から言われた。私は「もう要らないと思って、全部捨てちゃったよ」と答えると、子供は泣きじゃくり、大変なことになった。一つだけ残していたおもちゃを出して、何とか思い出のものとしてもらった。その場は何とか収まったが、今までしまい込んでいて、廃棄した途端こんなことになるなんて……。
ある日、お気に入りの服のボタンが外れていることに気が付いた。もしかしてと思い、「お母さんのこのボタン、どこかに落ちてなかった?」と子供に尋ねると「うんあったよ!でもね、落ちていたから捨てちゃったよ!」。やっぱり!!捨てる前に一言聞いてくれたら良かったのに……。時すでに遅し……。次の瞬間、あっそうか、子供もおもちゃを捨てられた時、こんな思いになったのだろうな……。自分が同じ状況になり、初めて子供の気持ちに気が付いた。私もあの時、子供に一言聞いてあげれば、お互いにいやな思いをしなくて済んでいただろうに……。親と子の関係であっても、人と人として話し合い、納得し合った上で判断すべきことが大切だなと気付かされた。
それからは小さなことでも尋ねることにした。すると、子供からも私に尋ねてくれるようになった。「お母さん、この紙もらってもいい?」「この紙はまだ要るから、こっちは使っていいよ」「ありがとう!」。以前よりもずっと会話が増え、何気ない会話と笑顔がいつの間にか多くなっていた。