夫婦・親子・友達・職場でのコミュニケーションを通して心の通いあう“愛”を育めたら・・・。そんなサイトを目指しています。

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『時を重ねて』

ペンネーム:なずな

挿画1 結婚当初のこと。朝食に出した目玉焼きを、主人がパンでつぶしたのを目撃した私はあっけにとられ、思わず怒ってしまった。「せっかくの目玉焼きを!?」

 このことがきっかけで、主人の何もかもが気になるようになり、
「結婚する前はあんなに仲良しだったのに……」
と思い描いていた結婚生活とは違うことに、ちょっとした不満が芽生えた。

 些細なことでのけんかが続くようになったころ、仲良くしたいけどどうやったらいいのかと考えていたら、思わぬところから答えが返ってきた。
“結婚したては仲が悪くて当たり前。元々他人同士がくっついたのだから、これからたくさん時間を重ねて、話し合って、どんどん近づいて、夫婦っていうものはこうして仲良くなるものだよ”と。

 新婚時代が一番仲の良いころと思っていた私には衝撃の一言だった。それから十数年。あの時からどのくらい仲良くなっただろう。仲の良さは計れないけれど、主人と共に過ごすことのできる喜びはあの頃には味わえなかったものだと感じる。

 面白いことに、あの「目玉焼き事件」は、今でも時々酒のつまみとなってあちこちの席で披露され、皆の笑顔を集めている。

  
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『胸に響いた励ましの言葉』

ペンネーム:AKIRA

挿画1 消防士を拝命をして、目標である救急隊員になるべく訓練を受けていたある日、訓練中にけがで、救急車で運ばれるということがありました。研修生のころに救急隊員として救急車に乗ったことはありましたが、傷病者側として乗るのは初めてであり、最後まで訓練ができなかった悔しさと惨めさで涙を流していました。

 車内に収容され、救急隊の先輩たちといろいろな話をする中で、救急隊を諦めなくてはならないかも知れず、自分の惨めさを訴えた時、救急隊長から「なってしまったことは仕方がない。それよりも今後この経験をどう生かすか考えろ。お前なら何とかなる」と言われました。その隊長は普段は寡黙で、話し掛けづらい雰囲気で、あまり会話をする機会がなかったのですが、その一言が胸に響き、すごく前向きの気持ちになれました。

 その一言のおかげで怪我からの復帰を果たし、現在は救急隊員として職務を遂行することができています。今でも隊長には感謝し続けています。

  
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『妻の実家はホット・ファミリー』

ペンネーム:ボヤッジ

挿画1 私の妻の実家は、四国は愛媛。土地柄のせいか妻の実家の人たちはみんな優しく楽しい。我が家の子供たちが小さい時は、毎年夏休みになると、家族みんなで帰省するのを楽しみにしていました。実家には妻の両親がいて、近くには弟家族や妹家族がいて、親戚がみな近くにかたまって住んでいます。妹家族には我が家と同じくらいの年齢の子供が二人いて、娘たちとは姉妹のように仲良しです。プールや遊園地やスーパーへの買い物や時にはキャンプやら、いつもみんな一緒に行動するのが帰省の楽しい行事でした。

 中でも毎年びっくりするやら感激することは、大阪に帰る時の見送りです。フェリーの発着場まで妻の実家の人たちみんなが見送りに来てくれます。フェリーのデッキに立っていると「蛍の光」につれて、紙テープがやがて手から離れるうちに、互いに「また来年ね」と別れの声を掛け合います。港の岸壁にいる人たちが、豆粒になり見えなくなるまで、手を振ってくれます。こちらもフェリーの最後尾のデッキまで行って、手を振り別れの挨拶をします。挿画2

 そういった心温かい人がいる実家に、毎年の帰省するのは夏休みの楽しみの一つでした。私の実家には全くといっていいほどそういう習慣がないので、こんな情景に出会うとなお一層の温かさを感じます。こんな帰省を毎年楽しみにしていましたが、今では妻の両親が他界したことや我が家の子供も大きくなったことで、それもかなわなくなってしまいました。しかし、このことは今でも温かい思い出として心に残っています。

  
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『やさしさにつつまれて』

ペンネーム:ローズマリー

挿画1 ある朝のこと。夫が「今日はなんだかナーバス?」と私の顔をのぞき込みながらつぶやきました。

 確かにあの時の私はかなり硬い表情だったと思います。というのは、日ごろからお稽古をしている茶道の初釜で、例年は“お茶のお運び”として楽しく参加させていただいているのですが、今年はいつもと勝手が違っていたからなのです。“点て出しの係”とのご指示をいただいてしまったのですから、さあ大変です。「大切なお客様方へお出しするお茶を点てるなんて、私にできるかしら」と急に不安でいっぱいになってしまっていたのでした。

 そんな事情を夫に話すと、「大丈夫、君ならできる。僕も祈っているから安心して行っておいで」と、やさしく背中を押してくれました。

 すると不思議なことに、お茶を点てている間、お抹茶の香りと共に夫の笑顔がふんわりと浮かんでくるように感じ、あれだけ苦手と思っていたことがまるでうそのように、無事お役を果たすことができました。夫の愛を感じずにはいられない幸せな一日となりました。

  
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『頂いた“愛”を忘れずに』

ペンネーム:コスモス

挿画1 幼いころから大人になるまで病院通いを繰り返していた私ですが、病院の先生の勧めで手術をすることになりました。今回の出来事を通して、自分は思っていた以上にたくさんの人々の愛で支えられていたのだなと、改めて感じることができました。

 職場の方々からは温かく「行ってらっしゃい」と言っていただき、退院後は「お帰りなさい」と迎えてくださり、その後も様々なフォローを頂きました。入院中は皆で写っている写真や手紙を送って下さり、それは私の宝物で、今でもずっと大切に持っています。

 振り返ってみると、今までの人生で自分は周りの方々から何かをしてもらっていることばかりだな、こちらから人のために何かをして差し上げることは意外と少ないかもしれないと感じました。

 これまでの恩返しとまではいきませんが、自分がしていただいたことに対して、今後の生活の中で周りの方々に感謝の気持ちを何かの形に表していきたいものです。相手の立場になって親切心を考えて、笑顔でいること。これからも皆さんから頂いた「愛」を忘れず生きていきたいと思います。

  
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『記憶の欠片』

ペンネーム:鉢かづき

挿画1 その日、目覚めた時からいつもと様子が違っていた。父も母もいない。田舎から泊まりに来ていた祖母が7歳の私の顔をのぞき込んで「今日からお姉ちゃんだねぇ」と告げた。しばらくして、家に戻った父に連れられて病院へ行く。途中、普段は素通りしていたお花屋さんへ初めて入った。待望の男子誕生に喜びを隠せない父は、おそらくありったけの勇気を振り絞り、バラの花を買って母のもとへと向かった。目覚めてすぐに目に飛び込んできた朝の光りのように、柔らかな黄色のバラだった。

 あれから数十年の時を経て、あの日バラの花で祝福された生命に、父は最期を見守られて旅立っていった。

 バラを贈られた母でさえ忘れていた記憶の欠片が、なぜか今私の手のひらにある。見れば見るほど美しくきらめいているので、一人で眺めているのはもったいないと思えてきた。今度実家へ帰るときは、バラの花をお供えしよう。

  
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『お疲れ様』

ペンネーム:テル

挿画1 「お願いしまーす」と、奥の部屋から声が掛かる。「はーい」と言って夫の一日の疲れがとれるようにとマッサージに励む私。時には日付が変わってからのマッサージコールも……。「今日は眠くてもう無理でーす」とやんわりとおことわりすることも。
 しかしながら、そんな時は夫が先に私の足裏マッサージをしてくれる。私の眠気を覚まし、その後交代するという戦略に、まんまと私はのせられてしまうのだ。でもまあね、夫はどんな時でも「お願いしまーす」と一言言ってくれるところが憎めないし夫の元気な顔が私は大好きなんだなと思う。
 今日は夫の疲れた顔を見て、こちらから先に「マッサージしましょうか」と声を掛けてみた。とたんに夫がニッコリ笑って横になった。やがて心地良さそうに眠ってしまった。夫のいびきを聞きながら、「また明日も頑張って」と、マッサージに心を込めてつぶやいた。

  
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『ピカピカの上靴』

ペンネーム:lier

挿画1 「ただいま!」
 週末に娘が両手にいっぱいの荷物を持って、小学校から帰ってきた。中には薄汚れた上靴。
次の日、玄関に上靴が置いてあるのを見て、
「上靴が玄関においてあるよ。そろそろ洗わないといけないんじゃないの?」
と尋ねると、
「え〜、やだ〜、洗いたくない!」
と今回もやはりいつもと同じ・・・・・・。

 けれど先日、サークルで「子どもにはどうしてしなければならないのかを、丁寧に根気良く教えてあげるといいよ」と、アドバイスをもらったばかり。そこで、「あっそうだ」と切り替えて、
「Aちゃん、上靴を洗うと学校で気持ちよく過ごせるよ」
と言うと
「そうだね。洗ってくる!」
と嬉しそうな背中を見せて行きました。私は娘のあまりにも素直な態度にびっくり。(あれ、こんなに変わるの?)歌いながら上靴を楽しそうに洗う娘にニンマリ。

 子育ては面白い。特に自分の考えが変わる時!次に「え〜、やだ〜!」を言われたらなんて答えようかな。楽しみ、楽しみ…。

  
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『名前を呼んでみたの!』

ペンネーム:まりも

挿画1 私の母は、子供たちが小さいころから、「おばあちゃん」と呼ばれたくないと、家族には自分のことを「アミちゃん」と呼ばせている。
 現在の我が家は、私たち夫婦とアミちゃんとの三人家族だが、先日、長男の一家4人が遊びに来てくれた。長男夫婦には、1歳になる可愛い女の子の、ノンちゃんと、腕白ざかりの3歳になったばかりの目のくりっとした男の子、アッ君がいる。

 食事が終わり後片付けを始めたころに、アッ君が目の前に座っていたひいおばあちゃんである母に「アミちゃん」と呼びかけた。突然呼びかけられた母はびっくりし、目を丸くして「はい!」と返事をした。アッ君はニンマリし、もう一度「アミちゃん」と言った。母は元気よく「はいっ!」。アッ君が大声で「アミちゃんっ!!」。母は負けるものかと更に大きな声で「はいっ!!!」。さらに大声で「アミちゃん!!!」母も「はーい!!!」。

 「うるさい、もう少し静かに!」と、テレビを見ていたアッ君の父親である息子がどなった。
アッ君は目をくるりとさせて「アミちゃん」と今度はそっと小声で言った。母も声を落として「はい」。アッ君はまた、ささやくように笑顔で「アミちゃん」と言った。母も「はーい」とささやくように笑顔で答えた。

  
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『僕、春を見つけにいくね』

ペンネーム:かりんとう

挿画1 幼稚園に入ったばかりの長男が、幼稚園から帰ってくるなり大急ぎで園のかばんを玄関に放り出して「僕、春を見つけに行ってくるね!」と言って、家を飛び出して行きました。挿画2
 一時間ほどして帰って来た長男に「春は見つかったの?」と私が尋ねると長男は額に汗を滲ませながらニコッとほほ笑み小さな左手を突き出したのでした。そこにはたくさんの黄色いタンポポが握られていました。
 タンポポのすてきな花束は、小さなビンに生けてそっと食卓のテーブルに飾りました。長男の笑顔とタンポポで、わが家の食卓に春がきたようでした。もちろん、夕食時の話は「春」でいっぱいになりました。

  
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