あっさり認める
ペンネーム : 美猿
長らくパリに住んでいた日本人女性に、フランス人と日本人の違いについて聞いてみた。フランスには、エレベーターなどのない駅がほとんどだそうだ。なぜなら、駅の階段をベビーカーで下りようとすると、必ず誰かが手伝ってくれるから。それは、耳にピアスを7つ8つ付けている若者でさえもしかり。また、道で人が倒れていようものなら、多くの日本人なら見て見ぬ振りをするであろうところを、必ず誰かがそばに行って助けてくれる。なんと親切な国民だろう。
ところが、レストランでオーダーをしようと店員さんを呼び止めると、私はこのテーブルの担当ではないといってスルーされる。テーブルごとに担当の店員が決まっているらしく、オーダーをスムーズにするためには、最初にテーブルに来た店員さんの顔をよく覚えておかなければならない。
また、郵便局に行くと、1つの窓口にいくら行列ができていようが、他の局員が「こちらの窓口にどうぞ」などと言うことはないそうだ。昼休みともなれば、どんなに長蛇の列ができていようとも、窓口はさっと閉められてしまう。日本人的感覚では、不親切極まりない。
フランスでは、弱者に対する手助けは、小さい頃から厳しくしつけられるのだそうだ。しかし、こと仕事に関しては自分の担当だけしかしない、いわば自己中心的な在り方。彼女は、価値観や自分が育ってきた国との環境の違いに、最初はびっくりして「え、何で?」と思ったそうだ。このギャップをどのように乗り越えてきたのだろう。
その秘けつは、「あっさり認めること」だと彼女は言う。「この人たちはそういう考えなのだから」と、いいも悪いも思わないのだそうだ。違いを感じるのは、自分の価値観が基準になっているからこそ。自分の価値観にとらわれずに、対象を受け入れる。これは、フランス人に限らず、自分が接するどんな人や物事においても言えることだろう。
帰国して1年7か月、短い間に彼女の環境は二転三転したが、実に淡々と過ごしている。新しい環境をたやすく受け入れることができるのだろう。
美味しいコーヒーはどっち
ペンネーム : うなぎいぬ
ある時、上司から「お客さんが来られたので、おいしいコーヒーを2つ頼む」と言われました。私がキリマンジャロを入れようとした時、同僚が「おいしいコーヒー! と言ったらモカでしょう」と割り込んできました。「キリマンジャロの方が高級だしおいしいよ」と言ったら「え〜、キリマンジャロは好き嫌いがあるよ! モカの方が一般的だって」と言います。お客様をそっちのけにして、その場で二人は口論となりました。ちょうどそこに先輩が入ってきて「お客様にお聞きしてみたら」と……。
結局、 お客様のご希望はモカでした。友人は優越感に浸り、私はおもしろくない思い……。そんな大人気ない二人を見ていたその先輩が「自分の思いだけにとらわれているから、相手の思いが理解できないんだよ」と、優しく言ってくださいました。
コーヒーを飲むのはお客様なのに、おいしいのはキリマンジャロ! と自分で決めてしまって、お客様にお尋ねするという考えは浮かびませんでした。味も好みも人それぞれ、自分の思いや好みが万人に当てはまることなどあり得ない、という至極当然のことに気付けなかった、若いころの恥ずかしい失敗談です。
桃太郎は盗人?
ペンネーム : くじら
一万円札の主、福澤諭吉の教訓集『ひゞのをしへ』の中に「桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためで、けしからんことではないか。宝の持ち主は鬼である。それを理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人である。宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為で卑劣なことだ」という内容が書いてあります。桃太郎が盗人! なるほどそういう見方、考え方もあるのだなと思いました。
人類の歴史が始まってからずうっーーと争いはありました。一方の側から見たら大義名分のある正義の戦いでも、もう一方の側から見れば侵略者に過ぎない、ということもあります。立場が変われば見方や考え方がガラリと変わるもので、世界的に有名な宗教の間でも「どちらが侵略者なのか」という論争は1300年以上経った今も続いています。
世の中、平和に楽しく幸せに暮らしたいという願いは、世界全人類共通の思いではないかと思います。お互いの主義主張が違っていても、その違いを認め合えば、平和に楽しく幸せに暮らす方法はきっとあるのではないかと思います。不合理なことを言ってくる人や無理難題を押し付けてくる人などは、それぞれに主義主張があってのことなのだろうと、ちょっと相手の立場に立って物事を考えると、「なるほど、そうか」と納得できることがあるかもしれません。最近の暗いニュースを見ていても、お互いに考え方をちょっと変えて違いを受け入れ合えば、今よりは平和に暮らせる方法があるのではないかと考えることがよくあるのです……。
違うからおもしろい
ペンネーム : 鉢かづき
食卓で納豆をぐるぐるかき回しながら、ふと「この器の中に一粒だけ黒豆が入ったらどうなるか」と思い立ち、人間関係に置き換えて勝手にシミュレーションをしてみました。突然違う環境に置かれた黒豆は適応できるか否かと……。
異文化の理解に努め、違いの分かる大人の黒豆に成長できるかどうか。あるいは、以前にも増して黒豆としての在り方に目覚め、周囲から一目置かれるような個性的黒豆になるか。はたまた、糸引き合うも多生の縁とばかりに喜んで、愛と調和を持って粘り強く納豆社会に溶け込んでいくか。
一方で、初めて出会う黒豆に刺激を受けて、一味違う進化した納豆が現れるかもしれない。お互い、昨日と全く同じままではいられない。違いがあるから、そこでコミュニケーションが発達する。その違いに向き合い受け止めることができれば、自分がより良く変わっていけるはず。自分が変われば、自己表現もバージョンアップする……。
たわいない思いつきからぐるぐる巡っていた空想も、ここに至って納豆と共に腑に落ちていきました。とかく他と違うことに対して臆病になりがちだけれど、一人一人が違うからおもしろいのだとポジティブに捉え、寛容な在り方をしたいものです。自分がより良くバージョンアップするためにも。