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楽しむ力

自分で考えて行動する人に

ペンネーム : 美猿

 子供が初めてジャンケンを覚えた日のこと。何度やっても私に勝つことができない。それもそのはず、彼女はグーばかり出すのだ。力が入って、「ジャンケン」で握った拳をそのまま「ポン」で
出すので、私はパーばかり出し続ける。しまいには涙目になったが、ふと、自分がグーばかり出していることに気付く。そして、初めてチョキを出して……勝った!初勝利!

 小学校の高学年になり、3週間後までにワークブックの50ページまでやってきなさいという宿題が出た。「宿題しなくていいの?」と2回ほど言ったが、一向にする気配がない。私は声を掛けることをやめた。案の定、提出日の前日、半泣きになって数十ページの宿題をする羽目に……。やがて成人した彼女は、「私はお母さんに一度も勉強しなさいと言われたことがない」と誇らしげに言ったが、いつも計画的に勉強している彼女にその言葉は不要だった。

 大学生になった彼女は、最初の目標通り、アルバイト等でお金を貯めて、海外を10カ国以上訪問した。中でも、その大学から初というベトナム語学留学では、とても苦労したそうだ。時間を守らないルーズな先生に何度となく授業をすっぽかされるので、日本の大学に訴えてみたがどうにもならない。結局、自分でベトナム人と何度も粘り強く交渉を重ねて授業時間を確保したのだった。それも格安の授業料で。

 子供が困らないようにと、あれこれ手を出し、口を出したいのが親の心情だが、本人が困って身に付くこともある。子供をほったらかしにするのとは違い、目的を持って見守ることも大切である。

 


待つ心

ペンネーム : ひまわり

 「早くしなさい!」。この言葉を、今までに何度娘に突きつけてきたでしょうか……。

 娘が幼い頃、 " 親バカ " を自覚しながら、その笑顔や仕草を見て「世界一かわいい!」などとよく思ったことでした。その一方で、夫婦とも朝から晩まで仕事を抱えながら子育てをしており、毎日ドタバタの生活をしていました。

 家事がたまっていく、洗濯物の山、あれもやらなきゃ、これもしなきゃ……。でも、疲れてふと気がつくと娘の隣で眠っており、目が覚めては後悔。こんな悪循環がしょっちゅうでした。

 子供が初めて靴ひもを結べるようになった時は、ほんとうにうれしかったです! ひもを得意げに結んでいる姿は今でも目に浮かぶほどかわいかったのです。でも、私たち親が時間に追われる生活の中で、例えば約束の時間ぎりぎりに家を出るような時は、あれだけかわいいと思った娘の靴ひも結びも、「早くしなさい!」という一言とともに、待ちきれずにイライラしながら私がやってしまう。そんなことが何度もありました。

 洋服のボタン掛けができるようになった時だって、とてもうれしかったのに……。パジャマのボタンに毎晩挑戦するようになって、本人は一生懸命集中して頑張っているのに、早く寝てくれないとたまっている用事ができないという私の都合から、結局「早くしなさい!」と……。親の都合で小言ばかり言っていたなあ、と反省しきりです。意外と楽しく子育てができていたと思っていましたが、今思えばイライラしていた時の方が多かったかもしれません。そのたびに、小さな娘の自立の芽を摘んできたのだと思います。
 
 大学生になった娘が料理に興味を持たないのは、包丁を使いたいと言ってお手伝いをしようとした幼いころに、ゆっくり時間をかけて一緒になって教えてあげられなかったからだと思います。今思えば、私に余裕がなかったからなのですが、危ないとか、あーしなさい、こうしなさいとか、そのときに楽しくない思いをいっぱいさせて、結局は私が手を出してやってしまってきたせいかな、と……。

 子供の自立を育てるには「待つ心」、これがとても大事なことなのです。

 今では、お父さんのことが大好きな、優しい娘に成長してくれています。きっといつか誰かのために、料理もがんばってするようになるのではと、反省も込めて祈りつつ、期待している今日この頃です。


一人暮らし

ペンネーム : うなぎいぬ

 中学生の頃から「早く家を出て、自立したい! 誰の世話にもならずに自分一人で生きていきたい!」と思っていました。短大を卒業して、就職も決まり、家族に引っ越しを手伝ってもらって、初めての一人暮らしがスタート!

 しばらくして、仕事に行きながら自動車の夜間教習所に通い、運転免許を取りました。運転が大好きになり、15万円のカローラを買って、お休みの日にはよくドライブを楽しんでいました。

 そんなある日、40キロオーバーのスピード違反で捕まってしまい、罰金、減点はもちろん、家庭裁判所にも行くように言われました。家に帰って、父に電話をしたらビックリして、すぐに飛んできてくれました。そしていろいろなところに頭を下げてくれたのです。父は公立学校の教師。公務員が家庭裁判所に出頭するということは、地方新聞に名前が載るということ! 事の重大さを全く認識していませんでした。

 私は、何も言わずに学校など関係する人たちに頭を下げて回る父の背中を見ながら、本当に申し訳なく、家族や周りの人たちの支えがあって、今の自分があるのだと痛感しました。

 あの頃の「誰の世話にもならずに生きていく!」なんて言うのは大変傲慢な考えで、ただの自分勝手なわがままだったと反省し、家族、周りの方へ感謝の気持ちを持ってこそ、本当の自立なのだと思ったことでした。


息子の自立

ペンネーム : スイトピー

 息子が幼い頃、自覚が全くなかったのだけれど、私は甘い母親だったらしい。自分の主張を頑として譲らない息子を前に、彼の意志を尊重することとわがままを許すことの境目があやふやで、私はいつも右往左往していた。

 そのためか、学校でケンカをしたり授業中騒いで迷惑をかけたりして、先生からよくご注意を受けた。自分の育て方の間違いを棚に上げて、男の子を育てるのはホントに難しいとわが身を慰め、どうしたらいいのだろうかと悩み、先輩にアドバイスを頂いたりした。

 「子供は親の鏡だから、子供の困った行動というのは、親に何かを教えているのですよ。反省して、夫婦仲良く子供に対するのが一番です」と教わった。「口出しするのではなく、彼の気持ちを受け止め 、子供の人生の応援団になろう」と夫からも言われ、少しずつだが、一人の大人に接するように息子に接し、甘い母親卒業を目指した。
 

 そんなある日、当時 高校二年生だった息子が「薬学部のある大学を受験したい」と言って、将来進みたい仕事の話をしてくれた。その後は、心配の心を振り払いつつ息子を見守る日々だったが、大学受験、予備校、下宿探し、就職、結婚と一つ一つ息子は自分で決めて実行に移していった。そこには確かに自立した息子の姿があった。今は薬剤師として病院で頑張っている。