『母親は「太陽」、父親は「月」』
ペンネーム:くろすけ
自分の血肉を分けて十月十日の間じっと育み、生まれてからはオムツを替えたり、ひもじいと泣けば夜中でも乳を含ます。
大きくなっても三度三度の食事を用意して、生命そのものを育んでくれ、熱を出したと言っては夜通し看病してくれる。
そんな偉大な母親には、父親は、どう転んでもかないっこない。
食卓で、「ごはん、まだぁ?」と催促する子どもたちの横に座って、料理が出てくるのを一緒に待つ存在である。
そういえば、自分も小さい頃に、「お母さんはボクを産んでくれたけど、お父さんは関係ないじゃん!」と父親に食って掛かり、横で「いや、関係はあるのよね…」と言ったきり、母親が複雑そうな顔で黙り込んでしまったこともあった。
そんな貢献度という「輝き」に乏しい父親が、何かものを言ってもなかなか子どもに通じるはずもない。
正に「母親は太陽、父親は月」である。
さて、そんな月が明るく光り輝くためには太陽に照らされなくてはならない。
太陽が明るく照らしてくれるからこそ、月は闇夜を照らすことができるのだ。
昔、忙しい父に代わって休日に遊園地に連れて行ってくれたり、買い物に連れて行ってくれたのも母親だった。
「ありがとうね、お母さん」という僕の言葉を遮(さえぎ)って、「こうして楽しく過ごせたのも、みんなお父さんが働いてくれるおかげなのよ。お父さんに感謝しましょう」と、必ず言われ、帰ってから父親に挨拶をすることは我が家のしきたりとなったのだった。
思えば私の母は一生懸命父を照らしてくれていた。
だから父は私にとって、怖い、偉い、存在でいることができたのだろう。
母親は太陽、父親は月。この言葉をかみしめて、僕も家内に伝えよう。
「すみませんが、もうちょっと照らしていただけると助かります…。」と。
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